この記事の結論

ノウハウは、個々の数値だけでなく、設備や工程との組み合わせに宿ることがあります。技術承継は、その情報のまとまりを見つけ、管理する作業でもあります。

1個68〜74グラム。生地の厚さ4ミリ。蒸し時間12分。

熱海で長く親しまれてきた「ほていや」の蒸しパンには、こうした製造基準があると報じられています。

もともと、この蒸しパンを作っていたのは一人の職人でした。ほていやは2006年に閉店しましたが、看板商品だった蒸しパンを残そうと、マックスバリュ東海が事業を引き継ぎました。

技術を受け継ぐ社員2人は、約2カ月間、ほていやの作業場へ通います。教え方は「見て覚えろ」。作業中のメモも許されず、目で見た内容を記憶し、仕事が終わってから書き起こしていたと報じられています。

ここから始まったのが、職人の経験を会社の技術へ変える作業でした。

職人技を「数字」に変えた

マックスバリュ東海は、受け継いだ製法をマニュアル化していきます。

記事で紹介されている基準を見ると、生地を厚さ4ミリに伸ばし、ペーストなどを巻いた生地を1個分68〜74グラムに切り分けます。蒸し時間は12分。発酵には約80度のお湯から出る蒸気を使い、約20分かけます。

職人が経験で判断していた工程を、複数の作業者が共有できる数字へ置き換えていったわけです。

こうして受け継がれた「ほていや」の蒸しパンは、マックスバリュ熱海店で製造・販売されました。

ところが、その後に重要な出来事がありました。

マックスバリュ東海は、熱海店以外の静岡県内の店舗でも同じ蒸しパンを製造しました。同じマニュアル、同じ数値、同じ手順を使っても、熱海店と同じ味にはなりませんでした。

報道では、その理由として厨房設備の違いが挙げられています。ガスとオール電化では仕上がりが異なり、火力の立ち上がり方や湯気の回り方も厨房ごとに変わる。その結果、製造は熱海店に集約され、周辺店舗へ配送する形になりました。

ここに、技術承継を知財の視点から考えるうえで重要なポイントがあります。

「68〜74グラム」がノウハウの本体とは限らない

企業がノウハウを管理するとき、「秘密のレシピ」「秘密の製造条件」といった言葉をよく使います。

しかし、ほていやの事例を見ると、技術の価値は個々の数字だけでは捉えきれません。

68〜74グラムという重量、4ミリという厚さ、12分という蒸し時間に加えて、発酵条件、熱源、蒸気の回り方、設備特性に応じた条件設定などが組み合わさり、最終的な品質が生まれています。

ノウハウの本体が「温度A」「時間B」「重量C」という単独の情報ではなく、A、B、Cを設備条件Dの下で組み合わせる関係にある場合があります。

ここで、営業秘密という考え方が関係してきます。

なお、同社の秘密管理の実態は報道からは分からないため、ここでは製法が実際に営業秘密に該当するかを判断するのではなく、報道された事例からノウハウ管理の論点を考えます。

不正競争防止法上の「営業秘密」として保護されるためには、情報が次の3つの要件を満たす必要があります。

3つすべてがそろって、法律上の営業秘密としての保護につながります。このうち、ほていやの事例から特に考えたいのが「非公知性」です。

公開された数字だけで、技術は再現できるか

今回、68〜74グラム、4ミリ、12分といった具体的な数字まで紹介されています。これらの数字自体は、記事を読めば誰でも知ることができます。

一方、製法を共有した別店舗でも、同じ味にはなりませんでした。

情報を構成する個々の要素が知られていても、その組み合わせ自体が一般に知られておらず、容易に入手できない場合には、情報全体として非公知性を持つことがあります。その判断では、組み合わせの容易性や、取得に要する時間・費用なども考慮されます。

たとえば、「蒸し時間は12分」という情報が公開されていても、それだけで同じ品質になるとは限りません。

発酵をどの状態で終えるのか、どの設備を使うのか、火力をどう立ち上げるのか、蒸気をどう回すのか、材料の状態に応じて条件をどう調整するのか。こうした条件の組み合わせが社内に蓄積されていれば、そこに別のノウハウが存在します。

営業秘密を考えるときには、「この数字が秘密か」だけを見るより、結果を再現するために必要な情報のまとまりは何かを見る方が実態に近くなります。

失敗した製造にも知財価値がある

さらに興味深いのが、別店舗で同じ味を再現できなかったという事実です。

知財の視点では、この失敗によって新しい情報が得られています。

同じ重量、同じ厚さ、同じ時間を守っても、設備条件が変わると結果が変わる。つまり、設備や熱源も品質を左右する重要な変数だったことが分かります。

「この条件ならうまくいく」という情報に加えて、「この条件を変えると目指す品質にならない」という情報も、企業にとって価値を持ちます。

これは営業秘密の3要件のうち「有用性」と関係します。

有用性は、その情報が事業活動に役立つことを意味します。過去に失敗した研究データも、同じ試行錯誤を繰り返す費用を省けるため、有用な情報になり得ます。

ほていやで「別店舗では同じ味にならなかった」という経験も、「どの変数が味を左右しているのか」を発見するための情報といえます。

もっとも、今回の報道で「ガスとオール電化では仕上がりが変わる」といった具体的な知見は公表されています。その部分はすでに公知情報です。ここで重要なのは、こうした失敗の過程で得られた知見も、公表前であれば管理対象となり得るという点です。成功条件だけでなく、失敗条件や試行錯誤の履歴にも、企業が管理すべき情報が含まれることがあります。

営業秘密には「請求項」がない

ここで、特許と営業秘密の違いが見えてきます。

特許では、何を権利として求めるのかを請求項に記載します。特許になれば、その請求項を基準として権利範囲を考えることができます。

一方、営業秘密については、企業自身が管理する情報の中から「どこまでを秘密として扱うのか」を決めます。

秘密管理性が求めているのも、その範囲を周囲が認識できるようにすることです。

企業が秘密として管理しようとする情報の範囲を、従業員などが認識できる状態にすることが重要です。アクセス制限、秘密表示、社内ルールなどは、そのための手段になります。

そのため、実際の秘密管理では、守る情報の範囲を具体的に捉えることが重要です。

配合なのか。許容重量なのか。設備条件との組み合わせなのか。試験データなのか。失敗条件なのか。

比喩的にいえば、営業秘密では、企業自身が「秘密の請求項」を作る作業が必要になるということです。

ほていやの事例で面白いのは、ノウハウとして管理すべき情報の範囲が、技術承継の過程で少しずつ見えてきた、と捉えられることです。

職人の仕事を観察し、数値化し、別の人が作り、別の場所でも作り、結果を比較する。その過程を通じて、品質を左右する変数が浮かび上がってきます。

技術承継は、同時に何をノウハウとして管理するのかを発見する作業にもなります。

FAQ

Q 公開された数値を含む情報も、営業秘密になり得ますか?

個々の数値が公開されていても、設備条件や工程との組み合わせが一般に知られておらず、容易に入手できない場合には、情報全体として非公知性が認められることがあります。営業秘密として保護されるには、秘密管理性と有用性も必要です。

Q 失敗した研究データにも、知財としての価値がありますか?

同じ試行錯誤を繰り返す費用を省けるなど、事業活動に役立つ失敗データには有用性が認められ得ます。成功条件だけでなく、失敗条件や試行錯誤の履歴も、管理すべき情報を検討する対象になります。

Q 自社のノウハウは、何から確認すればよいですか?

まず、品質や成果を再現するために必要な情報を書き出します。配合や作業時間だけでなく、使用設備、調整の判断基準、うまくいかなかった条件なども対象です。

そのうえで、公開済みの情報と社内にとどめる情報を分け、誰が利用するのか、どの資料や記録に残っているのかを確認します。「製造ノウハウ一式」とまとめるより、工程や資料ごとに具体化すると、秘密表示やアクセス制限の対象も決めやすくなります。

出典

  1. 東洋経済オンライン「『メモ禁止』目で技を盗んだ2カ月…廃業する『街のパン屋』の蒸しパンを、大手マックスバリュが“パートさんごと”継いだワケ」
    2026年9月17日公開。ほていやの閉店、事業承継、社員2人による約2カ月間の技術習得、作業中のメモ禁止などの出典。
  2. 東洋経済オンライン「『職人のパン』を数値化し『誰が作っても同じ味』を実現…それでも大手スーパーが拡大路線をやめ《熱海周辺5軒》に絞った理由」
    2026年9月17日公開。製造工程の数値化、発酵条件、厨房設備による仕上がりの違い、熱海店への製造集約などの出典。
  3. 経済産業省「営業秘密~営業秘密を守り活用する~」
    営業秘密の3要件である秘密管理性・有用性・非公知性についての公式解説。
  4. 経済産業省「営業秘密管理指針」(2025年3月31日改訂・PDF)
    秘密管理性の考え方、公知情報の組み合わせに関する非公知性、失敗した研究データなどの有用性についての根拠資料。

執筆・文責

弁理士 中村幸雄

特許・商標を中心に、著作権、意匠、営業秘密など、事業上の知財課題を見極める弁理士。 「知財の余白」では、権利の種類がまだ分からない段階から、関係する権利や事業上のリスクを見極めるための情報を発信しています。