執筆・文責:弁理士 中村幸雄

物事を考えるとき、いくつかの入口があります。

論理的思考は、前提を整理し筋道を立てて答えに近づく考え方です。すでに見えている問題を、矛盾なく効率よく解くことに向いています。

デザイン思考は、使う人の体験や困りごとに目を向けます。「なぜ使いにくいのか」「どうすればもっと自然に使えるのか」という問いから解決策を探します。

アート思考は、少し違います。

「自分が強く惹かれているものは何か」
「なぜ自分はこれに執着するのか」
「自分の関心から、まだ誰も問いにしていないことは何か」

市場の要望や既存の課題から出発するのではなく、自らの関心や違和感を起点に、まだ形になっていないコンセプトを生み出そうとする考え方です。

なぜ、この違いがAI時代に効いてくるのか。

文章を書く、コードを書く、画像を作る、試作品を作る。こうした「どう作るか(HOW)」のコストは、AIによって大きく下がりました。以前は専門家でなければ形にできなかったものも、今ではかなりのところまで自分で作れるようになっています。

HOWが安くなったとき、残るのはWHYとWHATです。なぜ作るのか。何を実現したいのか。

論理的思考やデザイン思考は、すでにある問題をどう解くかを考える場面で力を発揮します。一方、アート思考は、自分の関心を起点に、そもそも何を問いにし、何を作るのかを立てるところに向いています。つまりアート思考は、HOWではなくWHYとWHATの側に立つ考え方です。

だからこそ、AIがHOWを助けてくれるほど、アート思考が問いかけてきたWHYとWHATが、人間の側に強く求められるようになります。

アート思考は「自分発」の問いから始まる

新しい事業や商品は、必ずしも市場調査から始まるわけではありません。

「自分がどうしても作りたいものがある」
「なぜこの業界では、これが当たり前なのだろうか」
「便利にはなったが、何か大切なものが失われていないだろうか」

こうした内側からの関心や執着が、出発点になることがあります。

アート思考が向いているのは、既存の課題を効率よく解くことではなく、そもそも何を問いにするかを考えることです。まだ課題として認識されていないもの、まだ言葉になっていない価値に目を向けることができます。

AIがどれだけ上手に答えを出せるようになっても、どの問いを立てるかは人間の仕事です。

ただし、「ひらめき」そのものは守りにくい

自分の中から生まれた関心や執着は、事業を動かす出発点になります。ただし、知財制度はひらめきそのものを守る仕組みではありません。

「高齢者がもっと自然に使えるAIサービスを作りたい」「地域の小さな店が、自分らしく発信できる仕組みを作りたい」。こうした考えは重要ですが、この段階ではまだ知財として扱いにくい状態です。

知財が対象にしやすいのは、その考えが外から見える形になったときです。技術になったとき、名前になったとき、デザインになったとき、文章や画像になったとき、あるいは公開しないノウハウになったとき。

知財は、ひらめきをそのまま守るものではありません。ひらめきを事業で使える形に整理し、その形に応じて守るための仕組みです。

特許で見るのは「解決の仕組み」

「忙しい人が楽に書類を作れるようにしたい」「現場の作業記録を自然な会話から残せるようにしたい」。これらはWHYやWHATです。

特許で問われるのは、その目的をどのような技術的手段で実現しているかです。

入力情報の不足を検出して確認項目を動的に変える。利用者の権限に応じてAIの参照範囲を制御する。失敗しやすい入力パターンを学習し、質問順序を調整する。こうした具体的な処理や構成に落ちてくると、特許の検討対象になり得ます

AI時代には「AIを使ったこと」自体は差別化になりにくくなります。むしろ、AIをどのように業務へ組み込み、現実の運用に耐える仕組みにしたのか。その設計の中に発明のポイントが現れます。

商標で見るのは「世界観の入口」

事業の考え方は、名前にも現れます。サービス名やブランド名には、何を大切にしているのか、誰に向けたものなのか、どのような価値を届けたいのかが凝縮されることがあります。

商標は、その名前をどの商品やサービスについて使うのかという視点で考えます。名前がお客様との接点となり、事業の顔になっていくのであれば、それはブランド資産です。だからこそ、使い始めてからではなく、使い始める前に整理しておく意味があります。

意匠で見るのは「外観として現れたデザイン」

事業の考え方は、見た目にも現れます。製品の形、パッケージ、アプリの画面、情報の配置、操作時に表示される画面。

意匠で保護の対象になり得るのは、こうした考え方そのものではなく、物品・建築物・画像などに具体的に現れた外観です。形状、模様、色彩、あるいはそれらの組み合わせとして、外から見える形になっていることが重要です。

AIサービスやSaaSでは、機能だけでなく体験そのものが価値になることがあります。画面デザインや操作時の表示が事業の差別化につながるなら、意匠という視点も選択肢に入ります。

著作権で見るのは「表現になった部分」

アート思考から生まれた世界観は、文章や画像にも現れます。ブランドストーリー、サービス説明文、コピー、図解、ウェブサイトのコンテンツ。

ただし、世界観そのものは著作権では守られません。守られるのは、それが具体的な表現になった部分です。

AI時代には、人間が考えたアイデアとAIが生成した表現が混ざりやすくなります。「アイデア」と「表現」を分けて考える視点が、以前より重要になります。

公開しないという選択肢もある

すべてを権利化する必要はありません。評価データ、業務上のプロンプト、判断基準、運用ノウハウ。こうした情報は、公開するより管理した方が価値を持つ場合があります。

このとき関係するのが、営業秘密という考え方です。営業秘密として扱うには、事業上有用な情報であること、秘密として管理されていること、公然と知られていないことが必要になります。

どこを公開し、どこを権利化し、どこを秘密として残すのか。それを考えることも知財戦略の一部です。

知財は、WHYとWHATを守れる形に翻訳する

AIの進歩によってHOWのコストは下がりました。その分だけ、WHYとWHATの重要性は増しています。なぜ作るのか、何を実現したいのか、何をあえてしないのか。そこに事業らしさが現れます。

知財はWHYやWHATそのものを守る制度ではありません。

技術の仕組みになれば特許。名前や記号になれば商標。外観デザインになれば意匠。文章や画像になれば著作権。公開しない事業上の情報であれば営業秘密。

知財の入口は、最初の問いの中にもある

知財の入口は、出願書類の中だけにあるわけではありません。「自分が強く惹かれているものは何か」と問い始めた、その最初の関心の中にもあります。その問いを事業の言葉に直し、守れる形に整えていく。知財は、その作業を支えるための道具でもあります。

特許・商標・著作権・意匠・営業秘密。どれが関わるのか、最初から明確でなくてもかまいません。まずは、アイデアがどのような形で事業に現れているのかを整理するところから始められます。

執筆・文責

弁理士 中村幸雄

特許・商標を中心に、著作権、意匠、営業秘密など、事業上の知財論点を整理する弁理士。 「知財の余白」では、権利の種類がまだ分からない段階から、知財・ブランド・事業リスクの入口を整理するための情報を発信しています。